黄金色に枯れた野山に雪が降り、雪は何度か積もっては溶け、そのうちに木々は葉を落とし野山は焦げ茶色になり、そこにまた静かに雪が降り積もって、ついに根雪になりました。晩秋の頃、私どもが住む惠泉荘には緋色のもみぢが降り、これを最後と染められて転身した枯葉の庭は一枚の絵のようでしたが、そこも今は深い雪に覆われています。足で蹴ると片栗粉のように飛び散り、宝石の粉のように陽光に輝く 雪です。しんしんと降る日は、心もしんと静かになり、晴れた日は、真っ白な雪と真っ青な空が実に美しく、心が洗われ清々しい思いにされます。厳しく吹ぶく雪は、柔らかく互いを隔てながら、温かくすべてを包みもします。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
(三好達治「雪」)
初冬の頃、惠泉荘のすぐ裏の畑に、しばらく滞在していたらしい熊の親子も、今は雪に閉ざされた洞穴で深い眠りに入っていることでしょう。周囲の山野が鳥たちにグルメランドであっただろう季節には、一羽の雀さえ来なかった庭の餌台に、今は毎日、午前と午後のほぼ決まった時間、雀はもちろん、セ� ��レイやモズといった野鳥が来ます。私にとっては3年越しの夢の実現で、幸せそうに餌をついばむ鳥たちの姿を双眼鏡で見るのが嬉しく、少し奮発して大きめの野鳥の餌を買って来ました。
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惠泉塾は11月末から来春までは閉塾です。3月からの9ヶ月間、畑や他の作業の場で共に汗を流した塾生たちは、それぞれに卒塾証書や終了証書を手にして、歓声を上げながら一緒についた餅をお土産に、祈りに包まれて帰宅しました。それでも冬をここで過ごす人々が50人もいて、犬や鶏や山羊の動物飼育、そして毎日の除雪作業や、春の開塾の準備をしながら暮らしています。連日降り積もる雪と格闘するのは、2台の重機と各種のスコップや「ママさんダンプ」を持った歩兵部隊です。とにかくゆるぐなぐ、農作業よりも疲れが身体の芯に残ります。そんな中、木工所、パン工場、訪問看護センター、ホスピス、介護ステー� ��ョン、コーヒーショップ等のヴィタポートの働きは、普段と変わりなく行われています。
この年、盛夏から初冬にかけて、祈りの家の朝の学びと、日曜日の朝の小さな分かち合いのグループで、それぞれ別の機会に、違った仕方でヘブル書を通読しました。旧約聖書の儀式的な背景に疎い私たちには、馴染みにくいところも多いこの深遠な書簡を、今の私への大切な信仰の糧として虚心に読み進む貴重な機会でした。
冒頭に掲げた御言葉を読むと、韓国人教会でお会いした在日コリアン1世の方々のことを想います。一切の解釈なしにそのまま彼らや彼女たちの生涯にあてはまります。深い呼吸でただ朗読するだけで、言葉は一人ひとりが生きて来た、また生きている歴史と生活の中に、身体をもって立ち上がるでしょう。 そして、一人ひとりのうちに立ち上がるだけでなく、人と人との間に立ち上がるでしょう。「在日」1世の思いを歌った「他郷ぐらし」という古い流行歌はこういう歌詞で終わります。
「他郷もなじめば 故郷となるものを
行けども来れども いつも他郷」(作詞 金 陵人)
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ヘブル書の最初の読者についてはいささか議論はありますが、手紙の内容からして、厳しい信仰の試練の中で、生活の困難を抱えていたユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれたと考えるのが妥当と思われます。彼らはイエスをメシア(キリスト)と告白することによって、生活の安定と生存に関わるユダヤ人コミュニティーにおける市民権を失いつつあったようです。かつては信仰の確信をもって厳しい試練を耐え忍んだ者たちも、長く続く試練の中で、イエスをメシアと告白した初めの喜びを失い、信仰の歩みが弱り衰えていたようです(12:3,12)。その中にはいっしょに集まることをやめたり(10:25)、さらには神の子イエスへの信仰を投� �捨てて、(3:12~19,4:11,6:4〜6,10:35)、「出て来た故郷」(11:15)であるユダヤ教社会に戻る者たちも少なくなかったように想像されます。
ヘブル書の著者が「信仰の創始者であり、完成者であるイエス」を指し示し(12:2)、人として苦しみ従順を学ばれたキリスト(2:9,18,5:7,8)、私たちの弱さを知る「偉大な大祭司」(4:15,16)を語り、また雲のような信仰の証人たち(11章)や信仰の鍛錬(12章)、真に安全で確かな錨としての希望(6:19)、そしてイエス•キリストが旧約聖書に示された影にまさるお方であることを語るのも、単に教理や思想のことではなく、困難のただ中にあるユダヤ人クリスチャンたちの励ましのためです。
著者は、ユダヤ人クリスチャンに「宿営の外」(13:13)に出ようと呼びかけます。メシアであるユ ダヤ人イエスが、同胞からのはずかしめを身に負って十字架で殺されたエルサレムの「門の外」(13:12)、すなわちユダヤ人コミュニティーの外に出て、「さらにすぐれた天の故郷」(11:16)、「揺り動かされない御国」(12:28)、「後に来ようとしている都」(13:14)を目指して、「地上では旅人であり寄留者」(11:13)として生きるように勧めます。それは「キリストを通して(強調)・・・御名をたたえる(直訳「告白する」)」(13:15)ことを捨ててはならないという切なる勧めでもあります。
それにしても、自らを語ることをしないこの著者の、どこまでもただひとつの御名にのみ固着する、何とへりくだった熱い牧会者の心でしょう。書き送られたこの手紙は、通常の書簡ではなく、説教者が語りかける奨励の言葉だと言わ� �ます。「こらえてください」(別訳:13:22)と言いながら、時に慰め深く、時に厳しく「勧めのことば」(13:22)を語る著者の息づかいが、いや温かな息そのものが伝わって来るのを感じます。
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何よりも牧会者である著者が、旧約聖書の御言葉を引用するとき、彼の内に住まわれるキリストの御霊によって、2つの地平はひとつの御名において溶け合います。それは神学的な解釈というよりも、キリストにある永遠のいのちの溢れです。たとえば、2章12節は驚くべき大胆な励ましに満ちた御言葉です。
「わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。教会の中で、わたしはあなたを賛美しよう。」
これは次の詩篇22篇22節のダビデの賛歌からの引用です。
「私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。」
ヘブル書の著者のふりかえるまなざしと前を見つめるまなざしの中で、彼が生 きているその時、ダビデの「私」は、イエスの「わたし」になります。そこで、人となられた御子イエスが、教会の中でご自身の兄弟たちと共に「あなた」(御父)を賛美しつつ、「わたしは神に信頼します」(2:13)と新しい人類を代表して告白されます!「見よ、わたしと、神がわたしに賜った子たちは」と兄弟である会衆を喜びをもって指し示しながら。ヘブル書の著者は、この私たちと声をひとつにする救い主の賛美の声を自分の内に住むキリストの御霊を通して聴いたのでしょう。と同時に、彼はそれを教会の賛美の中で聴いています。最上のゴスペル•カルテットが御霊に満たされて賛美するとき、彼らが自分たちのハーモニーの中に第5の声を聴くように。ヘブル書の著者にとって、イエスとひとつの声で歌うということは、 ただ霊的な高揚や喜悦ではなく、同胞であるユダヤ人とひとつの声で歌うことをしないキリストへの信仰告白です。
この「歌う救い主」への信仰は、2世紀半ばの作と思われる初期教会の文書にも歌われています。
「彼は御口を開けて恵みと喜びを語り、御名をたたえて賛歌を詠唱された。/それから彼は、声高らかにいと高き方に向かって歌い、ご自身を通して子とされた者たちを御父にささげられた。」(『ソロモンの頌歌』Odes of Solomon 31:3,4、英訳からの私訳)
惠泉塾で過ごした8カ月間、ほぼここに来る以前に想い描いていたようなあり方で生活して来ました。そして今、私ども夫婦は、惠泉塾生活の第2段階に入ったように感じています。当然のことですが、具体的な人との関わりやその中での「負い目」(マタイ6:12)が生じ、健康状態も時々に変化し、心身の現実も夫婦で共に歩く歩幅も遠くでイメージしていた時とは違って来ます。そういう歩みの中で、装うことのできない自分をさらしさらされ、神様と隣人とに赦されながら、生活共同体に根づいて行くのだと思います。そのように、ひとりの生活者として、妻とともに惠泉塾に根づくことを学びながら、私は、ある種の「他郷感覚」をもってここで生きています。惠泉塾に生きることに 親情的な所属意識による安定や安心はありません。ここはただ「信仰によって」という一点において結びつき、また存在しています。私は、「地上では旅人であり寄留者である」ということが、信仰者本来の存在感覚であることを、ここにいてより鮮明に覚えるようになりました。定住しているここは定住の場ではなく、根づくべきここは根づいてはならない地でもあります。活き活きとした不安と明らかな希望をもって前のめりに歩まざるを得ません。
私はこれまでも、福音派であることを自覚しながら、何らかの宿営や陣営に全身を浸すことはできず、いつも「門の外」「宿営の外」に在って、何かと何かの「間」(あわい)を生きて来たように感じます。「キリストを通して、御名を告白する」ということは、いつも「門の外 」「宿営の外」にあるということであり、そこは魂の荒野です。今、惠泉塾に在って、鍬をふるい、スコップをふるう地に、1世紀のユダヤ人クリスチャンや他郷を生きた「在日」コリアン1世のいのちの記憶が融合します。その身体と心が、今の私の神学であり聖書解釈学の地平です。
この時代の牧会の現場で苦闘している牧師たちのことを想いながら、私のこの歩みも逃避や自己追求ではなく、なお変わらない同じ召しの中にあるようにと畏れつつ願わされます(ロマ11:29)。
「わたしが歌いに来た歌は 今日までまだ歌われずにいます。
わたしは楽器の弦を緊めたり弛めたりして毎日を過ごして来ました。
調子はととのわず 歌詞もまだよく並んでおりません――ただ
わたしの胸のうちに歌いたい欲求の悶えがあるばかり。
花はいまだ開かず風のみがため息をつきながら吹きぬけてゆく。
わたしはまだあのかたのお顔を拝したこともお声を聞いたことも
ありません——ただ裏通りを行くあのかたの静かな足音を耳にしたこと があるだけです。……」(タゴール『ギタンジャリ』より)
When we listen carefully we discover that we are already
home while on the way. (Henri Nouwen)
「耳を澄ませば 途上にあっても すでに家に在ることに気づくだろ
う。」(ヘンリ・ナウエン)
「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわい
そうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」(ルカ15:20)
2011年12月 待降節
(2011年12月6日「のらくら者の日記」より転載)
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